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明日に向って寝て!

映画とか、本とか、アイドルとか、旅行とか。基本的にネタバレします。

『父を探して』 - 言葉は不要。鮮やかな世界が語る、切なくも前向きな人生の賛歌

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原題:O Menino e o Mundo
監督:アレ・アブレウ
製作年:2013年
製作国:ブラジル

あらすじ

ある日、少年の父親は出稼ぎのためにどこかに旅立ってしまった。父親を見つけて、家に連れて帰ることを決意し、旅に出た少年を待ち受けていたのは、虐げられる農民たちの農村や、孤独が巣食う都会と、少年にとっては未知の広大な世界だった。少年は、行く先々で出会った大人たちや犬、音楽を奏でる楽隊の助けを得て父親を探していく。(映画.comより)

前置き

今年のアカデミー賞アニメーション部門にノミネートされたブラジルの長編映画です。
タイトルだけは聞いてたけども、それほど興味はなくて観るつもりはなかったんですが、予告編を観たらすごく面白そうだったし、特典のクリアファイルに釣られて前売り券を購入。
シアター・イメージフォーラムで早速観てきました。

これがなかなかどうして面白くて!
都内では一館だけの上映で、しかも朝早い回と夜遅い回しかないという不遇ですが、是非是非オススメのアニメ映画でした。

色鮮やかな映像の静動

主人公の少年の顔はまん丸で、縦長の目に3本の毛。NHKクレイアニメニャッキの顔そっくりです。
赤のボーターTシャツと半ズボンから伸びる針金のような手足が伸びる、子供の落書きのようなビジュアルです。

まず驚いたのはこの主人公が駆け巡る世界の色鮮やかさ
色鉛筆やクレヨン、絵の具や切り絵といった様々方法で表現された、まyるで絵本のような色鮮やかな世界がめまぐるしく展開していきます。
手描きで表現された人物や草木や動物は温かく、活き活きとしています。

それでいてふと画面の白の比率が多くなる瞬間があります。
そして何も描かれていないはずの真っ白な背景が何よりも雄弁に情緒を語りだし、その瞬間に鳥肌が立ってしましました。

独特の音楽と効果音

色鮮やかな映像と相まった音楽がまた独特の雰囲気を作り上げます。
父親が少年のために演奏してくれたメロディがモチーフとして変奏し、カーニバルでは不思議な響きの歌詞がついている音楽が賑やかに鳴り響きます。

効果音も面白く、ボディパーカッションやボイスパーカッション、(おそらく)様々な民族楽器を使って生み出される多彩な音の数々が時に温かみを、時に不穏な空気を映画に与えてくれていました。

(サントラ発売しないのかな。。。。)

少年から見た"世界"

少年は旅の中で様々な機械や乗り物に出会いますが、それらはまるで動物や恐竜のような形をしています。
また、音楽は色のついた綿のように表現され、カーニバルの音楽の"綿"は集まって不死鳥を形取ります。

劇中で大人たちはどこの国のものかもわからない言葉で話します。もちろん字幕はありません。
PEANUTSのアニメで大人たちの言葉が全てミュートされたトランペットの音になっているのに似てるな、と思います。

つまり、この映画内で表現されているのは"少年から見た世界"なんだと思います。
初めて見る大きな機械は恐竜に見えるし、大人たちが話すわけのわからない会話はまるで外国語のように聞こえる、あの感覚。
観客は少年の目を通して世界と接することになります。

この映画の原題は『O Menino e o Mundo』で、ポルトガル語で「少年と世界」という意味らしいです。

少年が出会う"世界"

以降、ネタバレします。
是非、なるべく情報を入れずに見てもらいたい映画なので、まだ見てない人はこんなブログ読まずに映画館へ!!!


映画は万華鏡のような幾何学模様の繰り返しから始まります。
どんどんと移り変わっていく幾何学模様が、まるでこの映画の"世界"が広がって、話たちたちがいる世界まで包み込んでいくような気分にさせられます。

田舎町の小さな家で暮らす少年が走り回って遊ぶ"世界"は色鮮やかで賑やかで、家族3人での暮らしは幸せそのものです。
しかしある日突然父親が家族のもとを去ってしまい、少年は父親が教えてくれたメロディを胸に父親探しの旅に出ます。

旅に出た少年はまず、綿花農場で働くおじいさんと出会います。
おじいさんを含んだ多くの従業員が規則正しく木綿を収穫する様子は、移りゆく幾何学模様のようで、大変そうではありますがどこか楽しげです。
しかし、楽しいことばかりではなく、老人は高齢者をすぐにクビにする農場主に怯えています

次に少年は都会に辿り着きます。
そこではビルが山のようにそびえ立ち、その周りにはゴミが山のように積まれ、スラム街が広がっています。
街には車と人で溢れ、グロテスクなまでに購買欲を煽る広告がひしめき合います。
道路では軍事パレードが行われ、流れる音楽はここにたどり着く途中で出会ったカーニバルが奏でていたものとはまるで違うものでした。
大きな船や重機は恐竜のように恐ろしく、不穏な雰囲気が漂う歓楽街に少年は怯えます。

その都会で少年は織布工場で働く青年と出会います。
青年はスラム街に住んで織布工場で働き、レトルト食品を食べてソファで眠る生活を送っています。
しかし、そんな彼にも楽しみがあります。
勤めている工場でこっそり作ったカラフルなポンチョを着て、市場でワンマンバンドのパフォーマンスをすることです。

しかし、ここでも楽しいことは続きません。
織布工場にも機械化され、従業員は大幅に削減されてしまいます
青年も参加するカーニバルはデモ隊となって練り歩きますが、軍にあっという間に制圧されてしまいます
機械化は綿花畑にも及んでおり、機械が木綿を収穫する畑には人の姿はありません。

夢のような故郷から旅立った少年が出会った"世界"という現実はあまりにも厳しいものでした。

少年がたどり着く"世界"

正直な話、途中までは「安易というか、手垢がついてるというか。ありがちな話かな」って思ってました。
行き過ぎた資本主義や、自然や民衆を犠牲にする企業、政府や軍による圧政・・・こう言った批判は本当にいつでもどこでも聞こえてきます
正直聞き飽きてしまった感が否めないし、手垢が付くほど叫ばれてきたということは一向に良くなっていない証拠であり、それを考えると気が滅入ってしまいます。

地獄を経験した少年がなんとかどうにか父親を見つけ、家族3人が資本主義や圧政の手の届かない田舎の暮らしに戻っていくって話か。
映像や音楽が素敵だけど、話がちょっとなぁ。。。なんて思ってました。

ところが、この映画はそんな安易な結末に落ち着きません。

結局、田舎の自分の家に戻ってきてしまった少年。
その姿は少年ではありませんでした。
それは綿花畑で働くあの老人でありスラム街で暮らすあの青年の姿でした。

スラム街の青年は上京して一人暮らしを始めたかつての少年であり、綿花畑の老人は職を失って別の仕事についたかつての青年の姿だったのです。

家は朽ち果て、母親の姿はありません。
老人は朽ちた家の壁に家族の写真を貼り付けます。

今までの少年の旅は一体・・・?
職を失い気力も尽きてしまい、人生の黄昏時にいる老人が郷愁の念から故郷に戻り、少年だった頃の自分の姿で自身の人生を振り返っていたのではないか、と思います。

 

映画は冒頭と同じような幾何学模様の繰り返しで幕を閉じます。
広がった映画の"世界"が、少年の人生が、どんどんと収縮して映画が終わります。


私ははじめ、この結末からとても厭世的なものを感じ取ってしまい、すごく切ない気分になりました。
あんなに鮮やかで賑やかな少年時代の世界で始まったこの映画がこんなにも寂しい結末を迎えるだなんて、受け入れがたいものがありました。

しかし、監督はインタビューでポジティブなメッセージを込めたと話します。
確かによくよく反芻すれば前向きなメッセージも多く含まれていたことに気付きました。

この映画は一人の少年の"世界"="人生"を描き出します。
冒頭と末尾の幾何学模様は映画の始まりと終わりを表すだけではなく、生まれては消えていく人間の"人生"の象徴だったのではないでしょうか。
そこには楽しい思い出や優しい記憶ばかりではなく、厳しい現実や切ない別れなど様々な感情が詰まっています。
それらを全部ひっくるめて全肯定したこの映画はまさに、苦々しく切なくもありながら前向きな"人生の賛歌"と言えるんじゃないでしょうか。

参考リンク

映画『父を探して』公式ホームページ
公式サイト。監督のインタビューも読めます。

「父を探して」は何を探し出したか?(小原篤のアニマゲ丼):朝日新聞デジタル
素晴らしいレビュー

www.youtube.com
メイキング映像。映像の作り方などかなり興味深いものがあります。